Netflixのスペイン映画「神が描くは曲線で」が配信された
私立探偵のアリスは殺人事件の捜査のために、患者と偽ってある精神科病院に入院するが…………
傑作「嵐の中で」のオリオル・パウロ監督最新作
米国の映画サイトIMDbの評価は7.1/10
ロッテントマトの批評家支持率は80%、観客支持率は90%
ミステリー好きにはたまらない作品となっている
驚きのどんでん返し
衝撃の真相
あのラストシーンは何を意味するのか?
海外サイトなどを参考にして、自分なりの答えを出してみた
もちろん正しいかどうかは分からない
あくまで一つの解釈だと考えて欲しい
なお映画のネタバレ全開なのでご注意を!!
「神が描くは曲線で」
1979年のスペイン
アリス・グールドは夫のヘリオドロを殺そうとしたパラノイアであるとの疑いで、精神科病院に入院させられた
だが、それは偽りだった
アリスは私立探偵で、その病院で起きたある事件の捜査が本当の目的だった
信頼できる医師ドナディオと精神病院の院長アルバの協力で、アリスは患者として潜入することが出来た
副院長のモンセは何も知らされていないが、アリスに親身になって世話してくれた
アリスは自室で、本の中に隠しておいた資料を取り出した
事件は昨年、病院内で起こった
ダミアン・デルオルモという少年が、不可解な死を遂げたのだ
その少年の死は自殺として処理された
しかし、事件の2日後に父親のガルシアのところに手紙が届いた
”私でなくお前が殺した”
手紙にはそれだけ記されていた
ガルシアから依頼を受けたアリスは調査の結果、犯人は統合失調症の疑いが強いと判断した
怪しいのは病院の患者たちだ
精神科病院の規則は厳しかった
病院でアリスはイグナシオという患者と親しくなった
イグナシオは知的で、とても入院患者だとは思えなかった
ところが事件について尋ねると、イグナシオは口を閉ざしてしまい…………
私立探偵のアリス・グールドを演じるのは、「マジカル・ガール」「ペトラは静かに対峙する」のバルバラ・レニー
院長であるサムエル・アルバを演じるのは、「誰もがそれを知っている」のエドゥアルド・フェルナンデス
副院長のモンセを演じるのはロレート・モーレオン
原作はトルクアト・ルカ・デ・テナによる1979年の同名小説
監督は「ロスト・ボディ」「インビジブル・ゲスト 悪魔の証明」のオリオル・パウロ
アルバ院長
殺人事件の捜査のために、患者として精神病院に入院した私立探偵のアリス
それは医師ドナディオと精神病院の院長アルバの協力があったから可能だった
ドナディオの病院への手紙には、アリスのことをこう書かれていた
”患者は常に答えを用意します。嘘であれ何かを必ず答えます。発言に統一性を欠くこともあります。しかし、それを指摘されると、すぐに説明を返します。以前の話は嘘で、今回の話こそ真実だと。油断は禁物です。彼女は愚直な人間や経験不足の精神科医を簡単に惑わせます”
ルイペレス医師はアリスをパラノイアだと診断した
アリスが入院してしばらく経ち、ようやく休暇から戻ったアルバ院長と会うことが出来た
ところがアルバは、アリスのことを知らないという
「君は重病だ。長期の入院になる」
思わずアリスはアルバを突き飛ばして、逃げた
しかし、アリスは警備に取り押さえられ、鎮静剤を打たれてしまった
ガルシア・デルオルモ
数日後、アリスはアルバ院長、副院長のモンセ、医師のルイペレス、アレヤノたちの前で、全てを説明した
夫のヘリオドロを殺そうとしたというのは嘘で、2人の関係は良好
ガルシア・デルオルモ博士から息子のダミアンの死を調べてくれと依頼を受けて、精神病患者を装って入院した
院長とはこの件で、何度も手紙のやり取りをした
「そんなことはしていない!」
「あなたが嘘をついているのは、問題を公にしたくないだけ」
話し合いが終わり院長はスタッフに、アリスは妄想に憑りつかれている危険な患者だと語った
だが、アレヤノとモンセは事実を確認すべきだと反論した
アリスは1人の男性に引き合わされた
見覚えのない相手だ
そう告げると、アルバは「彼がガルシア・デルオルモだ」と告げた
自分が知っている依頼人のデルオルモとは別人だった
「モンセ、これは罠よ!」
アリスはそう訴えたが、白衣の男たちに連れて行かれた
ヘリオドロ
隔離されたアリスを、モンセとアレヤノが訪ねてきた
アリスは2人に自分の考えを語った
全ては夫であるヘリオドロの計画だったのだ
新聞に細工して、アリスに別人をデルオルモだと信じさせた
おそらくドナディオ医師もグル
何もかもアリスの財産が目的だった
アリスを入院させ、架空の事件を捜査させる
誰の目にも病んでいると映る
そうしてアリスを病院に監禁
もしかしたらアルバ院長も関与しているのかも知れない
アリスの銀行口座を調べて残高がなければ、犯行の証拠となる
2人にアリスは、口座を調べて欲しいと頼んだ
医療審査会
アリスの推理通り、口座は空だった
ヘリオドロがアリスの治療費としてアルバ院長に、大金を支払っていたことも確認できた
モンセはアリスを退院させるために、医療審査会を招集した
審査会が始まった
アルバ院長、モンセ、アレヤノ、ベルナルド、ルイペレス
アリスの前に5人の理事が並んだ
退院するためには、全員の賛同が必要だ
モンセの口から、アリスの夫ヘリオドロは預金を下ろして、南アジアに逃亡したと報告された
医師のドナディオは姿をくらましたまま
偽のデルオルモも正体はいまだに不明
アルバは皆が騙されているが、アリスは危険な精神病患者だと告げた
だが、アルバは票を放棄した
あとは他の医師たちの判断に任せると
残った4人は全員が、アリスの退院に賛同した
「この決定は大きな過ちだ」
アルバはドナディオ医師と連絡が付いたと告げ、部屋を出ていった
そして、代わりに1人の男性が入ってきた
その男性はアリスがずっとガルシア・デルオルモだと思い込んでいた人物だった
「アリス、今度は何をしでかした?」
ラストシーンの説明
「神が描くは曲線で」の結末の焦点は、非常にシンプルだ
アリスは嘘をついていたか?
その答えは観客にゆだねられている
それを承知の上で、真実はどちらだったのか検証してみよう
仮説1:アリス・グールドは精神病である
アリスは非常に優秀で頭の回転が速い
矛盾を指摘されても、アリスは新たな自分に都合のいい真実を作り出す
そして、それを自分にも他人にも納得させてしまう
序盤のドナディオ医師の手紙に書かれていた通りである
アルバ院長はずっと真実を告げていた
しかし、アルバは人間的に問題があり、医師たちも本作を見ている観客も、アリスの方が正しいと錯覚してしまった
そこがこの映画の巧妙なところだ
最後に登場したドナディオ医師
もう言い逃れは出来ない
それでもアリスは必死に頭の中で、自分に都合のいい真実を再構築しているようだった
優秀な彼女なら、もしかしたらそれに成功するのかも知れない
アリスは決して自分が精神病だと、認めたくないのだから
仮説2:アリス・グールドは正常である
アリスは夫ヘリオドロとアルバ院長によって計画された犯罪の犠牲者だった
目的はアリスの財産
アリスはすっかり騙され、架空の事件の捜査のために、自ら精神病院に入院してしまった
あとは院長の権限で、彼女を病院から出られなくしてしまえばいい
最後に登場したドナディオ医師は、偽のガルシア・デルオルモを演じた男が、再び演じた
全てはアリスを病院に閉じ込めておくためである
とはいえ、調べればすぐに判明する嘘をつくために、あの場に犯罪者が現れるとは考えにくい
あまりにリスクが大きすぎる
可能性は0ではないが、かなり無理がある仮説だろう
そうなると「アリス・グールドは精神病である」という説の方が、有力といわざるをない
原作小説
「神が描くは曲線で」の原作は、トルクアト・ルカ・デ・テナによる1979年の小説「Los renglones torcidos de Dios」である
最後に原作小説ではどうだったのかを説明しよう
原作は映画と違い、明確に答えを出している
原作小説ではラストで医療審査会に、ドナディオ医師が姿を現すことはない
審査会がアリスの退院を認めた後、刑事が徹底的に彼女を調査する
その結果、アリスはパラノイアで苦しんでいる精神病患者だと明らかになった
アリスはヘリオドロと結婚した裕福な女性だった
しかし、彼女はすぐにヘリオドロが、自分を愛していないことに気付いた
ヘリオドロの目的は彼女の財産だった
ヘリオドロはアリスのお金を盗み始め、他の女と遊んだ
そのことにアリスは苦しみ、精神に変調をきたしていった
そして、ついにアリスはヘリオドロの毒殺を実行した
それに気づいたヘリオドロは、ドナディオ医師に救いを求めた
ドナディオはアリスを注意深く観察し、パラノイアだと診断した
このままでは精神病院に入れられる
アリスは自分が精神病だという事実を拒み、別の真実を頭の中で構築した
私立探偵の資格を持つ自分は、事件の捜査のために精神病院に行くのだ
アリスは自分がでっち上げたその真実を信じた
原作の結末は映画とかなり異なる
真実を刑事から知らされた医師たちは、アリスをどうするか再び医療審査会を開く
その結果、アリスは大丈夫だろうという結論に至る
病気の元凶だった彼女の夫は、お金を持って高跳びした
彼女のパラノイアを引き起こす原因は、もういない
優秀なアリスなら、自分を制御できるだろうと判断したのだ
この本のラストは、アリスが病院を出て、自分で真実に気づきパニックに陥るところで終わる
ついにアリスは自分が精神病であることを認めた
そして、アリスは再び病院へと引き返す
彼女は医師たちほど、自分を信頼できなかったからだ
原作と映画の真相が同じだとは限らない
「2001年宇宙の旅」のように、監督の意図は別だったかも知れないからだ
とはいえ、原作の内容を知っておくのも、映画を理解するのに役立つだろう
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